2022年8月26日 北海道稚内市の樺太記念館を見学し、知見を深めました

 樺太は、そもそも大和民族やアイヌが住み、さらに当時のロシア人も住んでいた土地です。すなわち、樺太全域は、日本人やロシア人の雑居地でした。明治8年(1875年)5月7日に日本とロシア帝国との間で国境を確定するためにサンクトペテルブルクで署名され、同年8月22日に東京にて批准され締約された条約の「樺太・千島交換条約」によって、樺太全地域は当時のロシア帝国の土地になりましたが、日露戦争が終結し、日本が勝利した結果に結ばれた、明治38年(西暦1905年)のポーツマス条約において、日本はロシア帝国から樺太の北緯50度以南の部分(南樺太)を獲得しました。
 その結果、南樺太は、日露戦争終結後の明治38年(1905年)から太平洋戦争が終結する直前に、旧ソ連邦が日ソ中立条約を一方的に破棄した直後に対日宣戦布告を行い、不法占拠した昭和20年(1945)までの約40年間、日本の領土となっていました。
 その南樺太が日本領土時代であった歴史資料を展示している記念館です。

上記画像は、かつて北緯50度線上にあった、旧日露国境第1号標石のレプリカで、日本側の表記です。

上記画像は、かつて北緯50度線上にあった、旧日露国境第1号標石のレプリカで、旧ソ連邦側に面した表記です。POCCIЯ(ロシア)、ГРАНИЦА(国境)の表記が見えます。

2022年08月26日